第三次インドシナ戦争
大和タケル
この戦いは1976年に統一したばかりのベトナムと
中国軍との間で1979年に行われた戦闘で
中越戦争 Sino-Vietnamese Warとも呼ばれます
今回 珍しい当時の戦場写真があったので
特集しました
背景
大量虐殺で知られるカンボジアのポルポト政権
に対して 見かねた隣国のベトナムが侵攻し
クメールルージュは崩壊しました
カンボジアを支援していた中国はこれに対して、
ベトナムへの懲罰行為と称した軍事侵攻を開始します
両国の戦力
北ベトナム軍
北部方面軍 3個師団程度(約3万人)と民兵
M1を持つベトナム女性
こういう国でジェンダーだの 女性の権利だの
話したら 逆に笑われるだろうなぁ
中国軍
正規軍約56万
手前のはたぶん53式82mm迫撃砲
戦況推移
1979年2月17日、カンボジア方面に主力を
展開していたベトナム軍の背後を衝く形で
雲南と広西から10万の部隊でベトナム北部に
侵攻を開始
進撃する中国軍 56式小銃と54式手槍
この時 べトナム軍主力はカンボジアにあり、
北部には正規軍3個師団ほど(約3万人)と
民兵しかいなかったが、彼らは実戦経験が
豊富であり、さらにベトナム戦争時の大量の
ソ連製や中国製の長距離砲を含む各種の武器、
弾薬も残っていた
M16A1を持つべトコンの女
また民兵もいわゆるべトコンとして百戦練磨
しかも撤収した米国製兵器のM48パットンや
UH-1などを持った精鋭民兵だった
たぶんロシア製ドラグノフ もし中国産79式7.62mm
狙撃歩槍だとしたら配備されたばかり
おそらく捕虜になったベトナム兵
銃はPPs42
圧倒的兵力の中国軍は得意の人海戦術でベトナム
北部の五省を制圧したが、野戦軍はその過程で
大被害を受けてしまう
RPKで射撃する中国軍
一方、ベトナム軍は包囲されることなくランソンから
後退し南方に約100km離れたハノイ郊外に構築された
巨大陣地に入った
ドイツのポテトマッシャー型手榴弾
ハノイ市民も陣地構築を手伝い、軍とともに小銃や
対戦車火器を抱いて陣地に入り、決戦の構えをみせた
反撃に転じるベトナム軍主力
ついにカンボジア方面に展開中だったベトナム軍主力
が合流を開始し、ハノイ郊外の巨大陣地には5個師団
が到着 これ以上の損害を恐れた中国軍は翌日の
3月6日から撤退を命じた。
撤退を始めた中国軍に対して、ベトナム軍主力は
追撃を開始した
焦土作戦を展開する中共軍 ww2でもこうした結果の
全てが枢軸軍のせいにされたのだろう
また撤退するにあたり中国軍は、非人道的な
焦土作戦を繰り返してベトナム軍の追撃をかわした
最終的には中国軍は56万人の内2万人が戦死し、
4万人が負傷するという莫大な損害を出したうえに
1か月足らずで撤退するという惨敗に終わった
以上がこの戦いのあらましです
この当時はベトナム側が錬度 装備 闘志
全ての点で勝っていましたが 現在は装備や
兵站等では中共軍は大幅に改善されており
また戦いがおきれば 苦戦は免れないでしょう
ですから 日米や比等の共同戦線が必要です
南ベトナムと中国の
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