大和タケル
上海事変は第一次 第二次とありますが
ここでは特に激戦となった第二次上海事変を
少しだけ見ていきましょう
ほぼドイツ装備の国民党軍 手榴弾もポテトマッシャーと
呼ばれた 柄付きの大型です
とてもおもしろいのはこの当時はまだ日本軍は
英仏のAFV 国民党軍はドイツ仕様とWW2とは
様相が異なる点に注意してください
さて第一次上海事変以降も国民党軍は上海郊外に
部隊を次々と集結させていきました
そのため、第二次上海事変時では日本軍陸戦隊
5000人あまりに対して 国民党軍は総兵力20万という
大兵で対峙することになります
これだけの兵力差がありながら 火砲と装甲車等で
勝った日本軍は国民党軍の攻撃をしのぎ切ります
そして 本土からの増援として艦砲射撃の支援を
受けつつ 三個師団に台湾守備隊の一部を加えた
派遣軍が上陸します
ルノー乙型戦車
カッサンドルにも匹敵する素晴らしい
アールデコスタイルの戦時イラストです
上のイラストの元となった写真 車両は大活躍をして
日本軍を守ったクロスレイ装甲車で 四角いのは乗降ハッチです
クロスレイM25四輪装甲車
損害を出しながらも この装甲戦力はとても大きかったようです
クロスレイはビィッカース傘下で 海軍陸戦隊は6輪など
幾つかの型をつかいました キュートな砲塔に7mm重機関銃を
2〜4丁装備できました この車両は2丁外しています
国民党軍の毒ガス攻撃を報道する新聞
上海派遣軍はゼークトライン ドイツ指導の
トーチカなどから成る防御ラインに攻撃を
かけますが相当に苦戦し前進は捗りませんでした
しかし 11月5日、上海南方60キロの金山衛に
日本第10軍が上陸したことにより 後方遮断を
恐れた国民党軍は一気に退却を始めます
マキシム重機関銃
日露戦争でも 多くの日本兵がこの銃に殺られました
もっとも日本軍もマ式機銃として使用しています
ここに日本租界は守られましたが 撤退時に
国民党軍による堅壁清野/焦土作戦がおこなわれ
これに反発した市民に逆に国民党兵が殺される
場面をフランス将兵が目撃しています
またスイス人写真家による漢奸処刑もこの頃に
写されたものと思われます
国民党軍による漢奸処刑シーン
同国民でも容赦なく殺す 台湾の本省人が
外省人を嫌うのも理解できます