Historical War
Historical War



★これが第二次世界大戦の結果だ 
占守島の激戦  8月18日に海に落とされる
寸前だった旧ソ連軍/ロシア軍 
 
占守島の戦い 今回はその結末まで
まとめてありますご覧ください 大和タケル
 
序盤から中盤までの推移
18日に始まった旧ソ連軍の上陸に対して
島民を守るべしとの判断から 反撃を開始した
日本軍第91師団隷下部隊の働きにより
ロシア側上陸部隊に大きな損害を与えた
  
(※正確には旧ソ連軍ですが 煩雑なので
以後はロシア軍と書きます) 
 
砲撃戦でも勝利
北千島,抑留,占守島,北方領土,ソ連軍,ロシア軍,第2次大戦 ,チハ,97式戦車 九八式臼砲,島嶼防衛,戦車戦
四嶺山の戦闘で奮戦した戦車第11連隊の
支援を受けて歩兵独歩第283大隊は
大きな損害を出しつつも国端岬に近い要衝を
奪回し第73旅団主力らの再結集を果たした
 
ロシア側の上陸作戦に対して 大きな打撃を
与えたのが四嶺山南に布陣していた重砲兵隊であった
 
今度は その奪回地点にロシア側の重火砲
(おそらくA19など)4門の集中砲撃がロパトカ岬より
行われたが第283大隊の96式15サンチ加濃砲が
1対4の砲撃戦を制して 敵側の全火砲陣地を
潰していった(この砲撃戦はもっと時間的に早い
つまりロシアの上陸中に行われたとする説もある)
 
敵軍を追い落とせる位置に占位したが・・
北千島,抑留,占守島,北方領土,ソ連軍,ロシア軍,第2次大戦 ,チハ,97式戦車 九八式臼砲,島嶼防衛,戦車戦
ここに於いて四嶺山の東南から戦車第11連隊の
残余と歩兵第73旅団の主力部隊が海岸へ向けて
前進を続け、その左翼から歩兵第74旅団が
ロシア軍を包みこんでいった
 
更に第74旅団の残りの部隊も幌筵島から
移動を完了しており このまま戦闘を続ければ 
上陸してきたロシア兵を海中に叩き落とせる
有利な状況となっていた 
 
しかし ここにきて方面軍からも停戦命令が下され 
明けて19日からは 両軍停戦交渉が開始された
 もっとも19日までには民間のトロール船等を用いて
占守島の島民らの退避は完了していたのである
 
以上 ここまで占守島の激闘を駆け足でみてきましたが 
この戦いは日本側の断固たる決断が早かったことと
もう一つ重要な点が島に良い火器が残っていた点が
挙げられます
 




 
帝国陸軍の新鋭兵器が揃っていた
この占守島の戦いでは南方戦線とは逆に
日本側の重火器が敵を上回る活躍を見せました
皮肉にも 最後の戦いに精鋭兵器が揃っていたわけです 
それは 蝋燭が消える前に強く瞬くのにも似ている
帝国陸軍が燃え尽きる一瞬だけ見せた 輝きにも思えます 
 
新砲塔チハ
北千島,抑留,占守島,北方領土,ソ連軍,ロシア軍,第2次大戦 ,チハ,97式戦車 九八式臼砲,島嶼防衛,戦車戦
それまでの直協主眼の57mmに代えて
高初速の一式47mm砲を搭載した型です
フィリピン戦線では投入緒戦でM3戦車3両を
撃破しています M4までの僅かの間でしたが
優勢にたつことが出来ました
 
優秀だった96式15サンチ加濃砲
北千島,抑留,占守島,北方領土,ソ連軍,ロシア軍,第2次大戦 ,チハ,97式戦車 九八式臼砲,島嶼防衛,戦車戦
ロパトカ岬に陣取るロシア軍の重砲4門を
たった1門で迎え撃ち 制圧したのも高性能を
謳われた96式15サンチ加濃砲でした
 
この砲は射程26kmを誇る長距離砲で錬度の高い
砲兵の射撃精度とあいまって 霧中で行われた
といわれる砲撃戦でロシア砲陣地を圧倒しました
 
秘匿兵器だった九八式臼砲
北千島,抑留,占守島,北方領土,ソ連軍,ロシア軍,第2次大戦 ,チハ,97式戦車 九八式臼砲,島嶼防衛,戦車戦
更にロシアの上陸直後に非常に強力な火砲が
打ち込まれていたという説があります
それは九八式臼砲と呼ばれる日本が独自開発した
珍しい方式の火砲で砲弾を差し込んで発射する
迫撃砲の一種です
 
北千島,抑留,占守島,北方領土,ソ連軍,ロシア軍,第2次大戦 ,チハ,97式戦車 九八式臼砲,島嶼防衛,戦車戦
驚くべきはその砲弾の大きさで直径30cm 
300kgもあって 最大で1.1kmも飛ばせました
その破壊力と爆裂音は一種の心理兵器としての
効果まであったといわれています
(ドイツ軍のブルームベアの大きな搭載砲が15cmなので
 倍の30cm がいかに巨大かわかると思います
ロケット兵器にも見えますが打ち出し式であって
推進はしません)
 
これらの装備の他にも 速射砲や高射砲も装備しており
さらに弾薬も残っていたことが大いに幸いしました
 
 データが示す我彼の結果
北千島,抑留,占守島,北方領土,ソ連軍,ロシア軍,第2次大戦 ,チハ,97式戦車 九八式臼砲,島嶼防衛,戦車戦
 戦記の考証のために両軍の死傷者数を載せておきます
 
計りすまして襲ってきた旧ソ連/ロシア軍、総員8824名
戦死数516名 負傷行方不明1051名
 
もう戦闘は無いと思っていた日本守備隊、総員8480名
戦死数256名 負傷行方不明762名
 
勝った勝ったと喚いているロシアの戦死者数は日本の2倍です
まぁ これがロシアクオリティってやつでしょう
 
一方 北方四島で戦闘が起きなかったのは日本に
領土としての認識が薄かったなどと妄言を吐く者もいますが
国後と色丹などにロシアが上陸したのは9月1日以降
もう完全に武装闘争に終止符が打たれた後であり
ために無抵抗な引渡しが行われたとみるべきでしょう
 
北千島方面だけでなく ソ連/ロシア国境での悲劇は
これだけではありません いくつか挙げておきます
 
後味の悪い結末
 関東軍士官候補生特攻
突如 満州に進攻してきたロシアに対して 
重火器類の多くを南方に移していた関東軍は
士官候補生らがダイナマイトの詰まったかばんを
背負い肉薄し当時 最良とも言われるT-34/85に
特攻をかけ なんとか開拓民避難の時間を稼いだ
 
日満パルプ工場事件
これは別名 敦化事件とも呼ばれています
占領したソ連軍のロシア人兵士らにより 
連日集団レイプが行われて その暴行に耐えかねた
28人の女性らが 青酸カリにより集団自決を行った
 
北千島,抑留,占守島,北方領土,ソ連軍,ロシア軍,第2次大戦 ,チハ,97式戦車 九八式臼砲,島嶼防衛,戦車戦
この他に57万人以上の日本人がシベリアに強制的に
抑留され 多くが餓死凍死したことは周知のことでしょう
 
また欧州では カチンの森虐殺事件もあります
ソ連により行われたポーランド人大量虐殺だが
全てドイツのせいにされていた などなど
これがロシア人のやり口です 
 
決して油断することがあってはいけません
inserted by FC2 system