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ノモンハンの真相
 ロシアのウソを暴け! 第一回


このページではノモンハンで行なわれた
戦いについて再考していきます

大和タケル

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ノモンハン紛争は数次にわたる大きな戦闘でしたが
近年になり、ソ連側の長く隠されていた資料が
公になり 勝ったとされてきたロシア側が
大きな損害を出していたことが分かってきました
この記事はそうした点を中心に下記のように
4回に分けて見ていきたいと思います

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1 ノモンハン紛争とは何か? 
  第一次から第二次戦闘までの流れ

2 ノモンハンで日本は惨敗はウソだった
 損害は旧ソ連側の方が甚大

3 ノモンハン紛争の問題点とロシアのやり口

4  口帝国陸軍 VS 旧ソ連側 装備比較

はじめに
用語についてのお断り
この戦闘は 一般にはノモンハン事件といわれます
ですが この言葉自体が問題だと思います
ノモンハンは、双方合わせて10万を超える兵士 
1000両を超える戦闘車両を投入した戦いではあり
これを事件IncidentやCaseというのは 不適当でしょう

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Warはともかく Conflictくらいが適当だと思います 
ですからここではノモンハン紛争と呼称します
それから当事者は大日本帝国陸軍とソビエト労農赤軍
ですが煩雑なので日本軍とソ連軍または意図的に
ロシアと表示しておきます

また,この紛争については読んだ資料の全てが
細部で相当に食い違っていました
近代史でこれ程 いろんな意見がでているのも
WW2戦史ならではでちょっと混乱します

そこで この記事ではひとつの資料に拠らず
自分が確からしいと思うものを書きましたので 
口に合わなかった場合は 悪しからず 

ノモンハン紛争とは何か?
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それでは まずノモンハン紛争の背景について
簡単にまとめます

これは1939年(昭和14年)5月から同年9月にかけて、
行なわれた旧日本軍と旧ソ連軍との戦闘です

日本の建てた満州国と旧ソ連の建てたモンゴル
人民共和国間の国境線をめぐる戦いでした

基本的に守る日本に対して ロシア側が攻める
図式です

大きく第一次と第二次の二度に分けるのが
一般的なようですが その間にあった7月の
日本側の渡河作戦も見逃せません

第一次ノモンハン紛争の結果
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第一次は昭和14年(1939)5月4日に
外蒙兵によるノモンハン地区襲撃から始まります

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この時点の戦力差は歩兵は日本軍21953人に対して
ソ連軍は約30000人程度でしたが、その他の戦力は
火砲では約2倍 戦車では3倍 装甲車は18倍も
ソ連側が上回っていました

歩兵の奮戦
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しかし劣勢でありながら 日本の地上軍は
猛烈な反撃をロシア側にあびせます

まず当時のソ連戦車が引火しやすいガソリン
エンジンだった点を利用し 塹壕に潜んだ
日本兵がサイダー瓶等の即席火炎瓶を
叩き付け 相当数を撃破していきます
(奇しくもモロトフ・カクテルと命名した
フィンランド軍の冬戦争も1939年)



97式戦闘機がロシア機を圧倒
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更に制空戦闘では撃墜数は別にしても日本軍の
97式戦闘機がロシアを圧倒したのは事実のようです

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通説では5月31日までの6日間で175機の
ロシア機を叩き落としたといわれています

仮に戦果を過大に見積もったとして 2/3に
減じても116機以上も撃墜しています
少なくても 制空権は日本側が握っていた
点は間違いありません

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また逆にノモンハン航空戦に関しては 
制空権もないのにロシア側の爆弾投下量が
日本側の実に6倍以上にもなるという首を
傾げるような資料も流布されています
(機体比較等は第三回で詳しくのせます)

この結果 ソ連機には戦闘禁止が命令され
侵入地を確保できずをソ連軍はハルハ河
左岸に引揚げることになります
日本軍の損害は290名、ソ連側は当時の
公式発表では110名となってましたが 
新たに明らかになったものではロシアは
600名以上の損失をだしていました

以上が第一次ノモンハン紛争の結果です
まとめると地上戦は日本軍の勝利
航空戦においては日本の圧勝でした

7月の渡河戦闘
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続いて7月の渡河戦闘がおこります
今度は日本側が戦車隊を含む約一万の部隊を
ハルハ河の対岸に渡らせ ロシア陣地を強襲しました

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実はこの戦闘も相当に悩む戦いです
なぜなら 資料ごとに評価がだいぶ異なるためです

ある者は待ち構えていたソ連側戦車の半数を
討ち取った勇戦といい また辻参謀嫌いの人は
これこそ辻の無謀な戦いの典型だといいます

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有名な97式中戦車チハの初陣でもあったわけですが
(チハたんは4両が投入された)
結果的には日本軍の優秀な歩兵に支えられたものの
この戦いで貴重な装甲兵力の多くを失ってしまいます

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一方で ロシア側も随所で突撃を繰り返し反撃
しましたが、そのたびに日本側に各個撃破され 
戦況は膠着状態となります

続く問題の第二次ノモンハン紛争については
次の第二回で詳しく見ていきます
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