Historical War
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中島飛行機物語について 第一回 WW2戦闘機秘話

中島飛行機物語
ある航空技師の記録 光人社
中島飛行機物語,戦闘機,一式戦,隼,二式戦,鍾馗,四式戦,疾風,誉ハ45,エンジン,スバル,武蔵野製作所

(※表紙画像は文庫版)

大和タケル
現在 日本の科学や学府の考えも
ようやく左派の呪縛から逃れ 少しづつ
兵器販路開拓への道が開かれつつあります
そんな中で改めて本書をレビューしたいと思います

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この本はWW2中に中島で兵技中尉であった前川正男氏の
書かれた航空機生産に関する物です

大戦当時の産業界の雰囲気がよく伝わってきますし
前線兵士とは異なる技官の話は少ないので貴重だと思います

ただし 年ごとに順を追ってという記載ではなく
章によっては発生年度が前後していることもあって
いくぶん煩雑です
下記は中島の戦闘機の略歴ですが
いかに多くの機体を開発製造していたかが
理解できます

主な陸軍用戦闘機
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1923年(大正12年) - 甲式四型戦闘機
1931年(昭和6年) - 九一式戦闘機
1937年(昭和12年) - 九七式戦闘機
1941年(昭和16年) - 一式戦闘機 「隼」
1942年(昭和17年) - 二式戦闘機 「鍾馗」
1943年(昭和18年) - 四式戦闘機 「疾風」
1945年(昭和20年) - キ87 高々度戦闘機(試作)

主な海軍用戦闘機
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1942年(昭和17年) - 二式水上戦闘機
1942年(昭和17年) - 二式陸上偵察機 
1943年(昭和18年) 夜間戦闘機「月光」






概略
東京帝国大航空研究所のフライス盤担当から
スタートした筆者は横浜高等学校工業科を経て
中島飛行機の東京製作所へと就職します

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(ちなみにこの当時からある大型風洞は
現在でも一号館に残されています)

まず田町の試験所で実習や後に陸軍のエースとなる
小田切春雄大尉らとエンジンテストするわけですが
整備のためバラしてカーボン落としとすると真っ黒に
なる姿が語られています

その後 中島での最初の大きな仕事は急降下爆撃に
適合したエンジンの開発で 後部座席に載って
日に何度も急降下を繰り返し エンジンの状態を
手回しで録画したり データ取をするわけです

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また3000m付近で哨戒をしてから攻撃に移る
エアキャップに適したエンジン開発等も行われて
いたようです そしてこれらは当時の上海での戦い
で前線のパイロットらから送られてくる要望やクレーム
(今で言うお客様の声)を吸い上げた結果の開発なわけです

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その後 徴兵で市川の重砲兵隊に初年兵として入隊
ここで厳しい訓練を受けつつ 幹部候補生試験にパス
技術幹部候補から兵技小尉となります

この辺 どんな出身でもいったん兵卒として
しごいてから 本当にやる気のある者だけを
技術畑に戻すのは それなりに合理的とも思えます
こうなると藁布団のむさい兵舎から出て 
軍刀を佩いて自宅から十条の造兵廠まで
通勤できる身分となります
筆者は終戦まで自宅から工場通いしたと記しています

ただ ここからも中島飛行機などの
一式戦や四式戦などの個々の戦闘機に関して
一貫した開発エピソードや性能等の
ことは思ったより 少ないです

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交通科学博物館が閉鎖されて以降 千葉の航空科学博物館に
移されたと思うんですがはっきりしません
 
 
その中で この本の肝とも言えるのが
第四章の増産への奮戦です

主に大戦後期の主力エンジンである
誉/ハ45の製造に関する話です
特に誉発動機は5mm間隔の冷却フィンの
製造にまつわる苦労話などが綴られています

一つでも多くのエンジンを
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中心となるのは やはりパーツ量産の苦労話です
特にミッドウェー以降 筆者が造兵廠から中島の
工場に戻ってからは原材料から完成品に到る
全てで物資の欠乏が起きてきます

誉のクランクシャフトなど当初は一本一本を
完成次第 工場近くの連隊兵士に担がせて 
運ばせるなどいかに切迫していたかがわかります

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誉搭載の海軍紫電二一型

しかし その一方で本来 同一であった
誉/海軍とハ45/陸軍が結局 仕様が異なっていき
最終的には互換性を失ってしまいました
一つでも多くという要求と矛盾した結果
こんなところにも 敗戦の一因が見られます

陸軍用の多くを生産した武蔵製作所
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昭和十八年十月時局の要請により両製作所を
合併して武蔵製作所と呼称するに至った。

この間従来の従業員に日本全国からの徴用工員
男女動員学徒を加へその総数は五万人に及び
日夜生産に励み国内第一の航空発動機工場となった
碑文より

最盛期には日本の1/4のエンジンがこの工場で
生み出されていました

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それ故に 第一の攻撃目標とされ 十数回の爆撃により
爆弾五百発余が炸裂し この工場は灰燼に帰した
かに見えましたが 戦後 焼け残った鉄骨を利用して

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外壁を作り直し かなりの部分がまた復活したようです
日本人も このへんは逞しいですw

また中島は戦後スバルとプリンスに分裂
しましたが そのプリンスは日産と結び 
そして近年 長くライバル関係にあった三菱自と
外資の元にグループ化したのは 因縁めいています  
長くなりましたので 人物編は第二回にします
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