朝鮮戦争勃発から70年が立ちました
今回は 戦争開始から停戦までの
出来事を 画像中心で振り返ってみます
少し新しい画像も含んでいます
1950年6月25日午前4時 暴風ポップン発動
10万余の北朝鮮軍が 38度線を超えて
奇襲攻撃を行う
戦車等の重装備をほとんど配備していなかった
在韓米軍と韓国軍は苦戦をしいられる
6月28日、ソウル陥落
漢江人道橋爆破事件
朝鮮戦争中の1950年6月28日
韓国軍が漢江人道橋を爆破し 非難途中の
民間人800人あまりが死亡した事件
保導連盟事件
李承晩大統領支持者らが共産主義からの転向者や
その家族を再教育するためとして設立されていた
統制組織である「国民保導連盟」の加盟者や
収監中の政治犯や民間人などを大量虐殺した事件。
一方 侵攻してきた北朝鮮軍による虐殺も
数十万規模で行われ 2020年に訴訟となった
韓国人拉致も多数あったとされる
釜山橋頭堡の戦い
ソウルから追われた米軍や韓国側はプサンを
強固に固め 補給線の伸びきった北朝鮮軍に
反撃を開始した
303高地の虐殺
北朝鮮軍に後ろ手に縛られたまま射殺されたアメリカ兵捕虜
さらに米空軍の重爆撃機B-29や
ジェット攻撃機サンダージェットやスコーピオン
空母から発進した海軍のコルセア等の航空支援が
上空から北朝鮮軍を激しく爆撃した
統計では朝鮮戦争で米軍が北朝鮮に投下した
総爆弾投下量はWW2時のの50万3000tを上回る
62万5000tで その内ナパーム弾が32,557t
だったとされる
9月15日、仁川上陸作戦(クロマイト作戦
マッカーサー元帥指揮によるクロマイト作戦
によって国連軍は約7万人をソウル近郊の仁川に
上陸させることに成功し 北朝鮮軍の背後の
補給線を寸断した
さらに米英を中心としたスレッジハンマー作戦が
発動され 全面的な反攻態勢が取られ9月28日に
ソウルが奪還された
国連軍の38度線突破
日本の参加と日本特別掃海隊
LSTの約6割30隻以上に日本人約2000人が
運航従事し、少なくとも日本人船員57名
戦死
日本人の犠牲者LT636号沈没事件
1950年11月15日、元山沖で大型曳船LT636号が
触雷して沈没し、日本人船員22名が死亡した
10月26日 中国義勇軍 直接戦闘に参加
長津湖の戦い 国連軍の撤退
当初は楽観視していた国連軍側も
11月後半の戦闘では アメリカ第2師団が
中国軍の6個師団に囲まれるなど しだいに
人海戦術に押されていく
国連軍の死傷者数約13000人 中共側は5万以上の
損失を出しながらも 国連軍は凍てつく国境地帯
から撤退していった
中国と北韓のソウル再奪取とリッジウェイの登場
勢いにのった中朝軍は1951年1月4日にはソウルを
再奪回した ここでも多くの民間人虐殺が韓国と
北韓双方の手で行われ ウォーカー将軍の死などが
重なり国連軍の士気は低下した
後任となったリッジウェイ中将は十分なる
武力偵察の後で キラー作戦 リッパー作戦を
数年前に半島から返還された中国兵の遺骨
展開して 2月初頭に漢江ライン 2/15にソウル
2/19には春川を奪回した
米第8軍は火力で中共側を圧倒して戦況は有利に
見えたが ここで韓国第3軍団が痛恨の壊滅を
喫する 将校の一部は階級章まで切り取って
逃げたとされるこの大敗北によって好機は
失われる
以降 中国と北韓側は分厚い陣地を構え
侵攻する国連軍側の損害も大きくなっていき
結局戦線は膠着状態に陥ってしまう
マッカーサー解任
ここで停戦を模索するトルーマンとあくまで
決戦を主張するマッカーサーの意見対立が
顕在化し マッカーサーは解任される
1953年7月27日 停戦発効
2020年6月15日 北朝鮮 南北連絡事務所爆破