半島情勢がデタントの方向に動いているように見えます
開戦日にちなんで朝鮮戦争について 特にもう一方の
当事者でもあった中国軍の状況を中心にまとめてみました
大和タケル
※管理者注
朝鮮戦争参戦部隊は正確には中国人民志願軍と
呼称されますが 煩雑のためここでは中共軍と
表記します
同様に米国側の軍勢も手続き等の問題から
正確には多国籍軍ですが ここでは国連軍
としておきます
まず中国参戦までの状況について
簡単に振り返ってみましょう
北朝鮮の進攻
1950年6月25日 北朝鮮軍10万が38度線を
越えて進攻を開始する
準備不足の米韓両軍を尻目に9月には
釜山周辺にまで迫った
戦意に乏しい韓国軍は敗走を続けた
「韓国軍は頻繁に逃げ出した また退却する
韓国軍が放棄した装備は、完全装備の数個
師団を充分に装備可能なほどだった」
マシューリッジウェイ将軍著
THE KOREANWARより
この間にも漢江人道橋爆破事件や
保導連盟事件等が数多く発生した
米国と国連軍の反撃
マッカーサーの指揮する米軍は新生された
第10軍を持って ようやく反撃体制をとり
仁川上陸作戦に成功し スレッジハンマー作戦で
戦況を好転させる
以後 ソウル解放と38度線より北上する
国連軍の大反撃が展開していく
10月にはマッカーサーは得意満面でピョンヤン
に降り立った
中共軍参戦
10/19よりヤールーガーに浸透し始めた中共軍は
26日前後より本格的に攻撃を開始した
11月の中共軍の反撃により 韓国軍第6師団は
ほぼ壊滅した 米第一騎兵師団も大きな損害を出した
そして303高地での激戦を経て国境沿いからの
撤退を続けた
翌51年の1月にはソウルは再び中朝軍の手に陥ちる
その後 8軍司令となったリッジウェイ中将による
中共軍への攻撃が本格化し 3月にソウルを再奪還
4月まで国連軍側の攻勢が続くが 両軍ともに決め手
に欠けた膠着状態となっていく
そして 1953年7月27日に休戦が成立する
中共軍の損失について
チャルメラ突撃 有名になった中共軍の
人海戦術で勇壮なイメージがありますが
実際はどうだったんでしょうか?
人的損失に頓着しなかったで実際の被損害
については諸説あって確定していません
西側や旧ソ連は100万人としていましたが
中共自体は鄧小平が40万人と言及しており
その後 約17万人と発表しています
どちらも差があるので ここでは一応
鄧小平と中共公式の間を取って30万人程度と
しておきます
戦闘期間だけ見ると大きな損害
2013年より始まった韓国による中国への遺骨返還
画像 人民網より
中共軍参戦日の1950/10/19から停戦発効の
1953年7月27日までが約3年間なんですが
そうすると年平均10万人程度の損失となります
WW2での日本の損失が5年間で40万人/年
旧ソ連は1941からの4年間で250万人/年
ドイツが7年で70万人/年(全て軍人のみの数値)
ですから10万人/年は少なめに見えます
半年で30万人を失ったか
しかし 実際には51年4月にマッカーサーが
解任されて以降は大きな戦闘はおきていません
1952年には実質的な休戦状態となっています
とすると50年の10月から51年の3月くらいまでの
ほぼ半年弱で中国軍は30万人を失ったことになる
という大打撃でした
しかも戦場となった朝鮮半島の全面積は、
22万2440km2 で日本の約6割り程度です
日本が戦った1億km2以上の太平洋域と比べても
いかに狭い地域での戦闘だったかがわかります
WW2比べれば局所戦ともいえるんですが
その一方 朝鮮戦争で米軍が北朝鮮に投下した
爆弾量は625,000t余りで 日本地域に投下された
爆弾総量160,800tよりも4倍近くも多くなっています
このように激しい戦いを繰り広げた米中ですが
近年 再び軋轢が強まっています
今も続く米中の反目
経済摩擦の他に軍事的にも厳しさを増しています
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