Historical War
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激闘 米国vs中共 
朝鮮戦争 長津湖の戦い1 
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大和タケル
長津湖(チャンジンホ)の戦いは少しマイナーな
存在ですが戦史上はかなり重要な戦いといえます
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なぜなら米地上軍と中共軍が直接ぶつかった
戦闘であり この時の戦力は米海兵隊17000人
に対して人民志願軍12万人といわれています

この戦い以降 米軍は38度線より撤収します
朝鮮戦争の趨勢を決めることになった
わずか17日間の戦いを見ていくことにしましょう

朝鮮戦争 ここまでの流れ
1950/6/25 北朝鮮の突然の強襲を受けて 
ウサン戦闘などで敗北した国連軍は
釜山に追い込まれながらも 踏みとどまり
マッカーサーの指揮による仁川上陸作戦で
逆襲に転じ 38度線を越えて進撃します

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制空制海権を握り 一部にはクリスマスまで
に終戦という楽観論がでる中で 長津湖に
展開していた米海兵隊の第1海兵部隊17000人は
突如して中共軍の大規模攻勢に巻き込まれました

あまりにも迂闊な米軍
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続々と集結する中共軍

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これほどの大部隊の集結をつかんでいなかったとは
あまりにも迂闊な米軍だった


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中共軍の配置図
まず 混乱しやすいので地名を整理しときます
中国国境
 
100Km先
ユダムニ 最前線
| 
22Km後方
ハガルリ海兵隊基地
コドリ基地

緒戦はすべて夜襲
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11/27 中国国境まで わずか100Kmという
長津湖のユダムニまで進出していた
米海兵隊第1師団の第5連隊 第7連隊は
完全な夜間奇襲攻撃を受けました

有利な戦況だったために中共の攻撃はないと
油断していた米軍は混乱して 大打撃を受けます

「いまここ(ケサン)に降り注いでいる
 大砲や迫撃砲弾など24時間分が
 朝鮮ではたった1時間の間に降ってきた」
(ロバートグリーン曹長 朝鮮/ベトナムに従軍
 ケサンはベトナム最大の激戦地)

歩兵による電撃戦
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しかも、これとほぼ同時に 22Km後方にある
ハガルリの海兵隊基地にも強襲が行われました
当時の攻勢図を見ればわかりますが
普通は最前線(中国国境側)から始まる攻撃が
この場合は 横方向のいたるところで発生した
ことが分かります

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これは機甲師団によってフランス防御陣を
ズタズタにした電撃戦と似た構図となり
米海兵隊は各所で孤立していきます




地の利も中共軍有利
米軍が大きな損害を出した理由は奇襲効果だけ
でなく 地の利が中共側にあった為でした

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この奇襲前に大雪が降って 兵を欺瞞しやすかった 
山岳から谷や道を移動中の米軍を狙い撃ちできた
マイナス20度という低温で地面が凍結していて 
防御用のタコツボもほれなかった
また移動中だったために 側面をさらしたままの
長蛇の形に部隊を分散していたも損害を大きくしました
 

完全に包囲された米海兵隊
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29日には後方のハガルリ基地さえ全滅の
危機に晒されました
そのため ドライスデールタスクフォースが
もっと後方のコドリより救援に派遣されますが 
ヘルファイヤバレーで待ち伏せ攻撃を受け
苦境に陥ります

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捕虜となった米兵

状況は悪化の一途を辿り あまりに不利と
なったために12/30 ついに第5,第7連隊は
ハガルリに後退を始めます

苦戦の末に合流
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この分断攻撃を切り抜けてドライスデール隊
はハガルリに到着 基地を守りきります

更に第5,第7連隊も12/3から12/4にかけて 
ようやく基地にたどり着き 一体となった
部隊は戦力的にもなんとか整ってきました
その上 米海軍艦載機による支援爆撃が始まり
(これは攻撃が遅れたのではなくて やっと当時の
艦載機の航続距離内に部隊が入ったため)

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F4Uコルセアなどから 投下された切り札
であるナパーム爆弾は山岳に陣取っていた
中共軍を1000度以上の高温で次々と焼き払い
米軍には全滅を免れた安堵感が広がりました

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中共側の戦死者

この後の戦況は ちょっと長くなりましたので
長津湖の戦い2に載せます
303高地の虐殺なども触れますので ご覧ください
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