Historical War
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★チャンドラボースのインド独立を
助けた日独の極秘作戦
WW2HISTORY  ボース 
インド独立を助けた日独戦友のUボート

大和タケル

自分は戦史記事を書くときは WW2という言葉を
使うようにしています

理由は日本とドイツと伊は世界を舞台に戦ったのであり
決してアジアだけとか 欧州だけといった限定的な
情勢ではなかったからです

その証拠のひとつとして 日本 ドイツそして
インドの友情の物語を上げておきます
わりとイイ話なのでぜひ読んでみてください


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スバス・チャンドラ・ボース
Subhas Chandra Bose、、
1897年1月23日 - 1945年8月18日
自由インド仮政府国家主席兼
インド国民軍最高司令官。
インドの独立運動家で
ネータージー 指導者Netji

まずチャンドラ・ボースについてごく簡単に述べます


若い頃メッテルニヒの妥協無き理想主義を尊崇した
ガンディーの非暴力主義に対してイギリスが武力支配
している以上、インド独立は武力によってのみ達成される」
という信念を抱いていた

イギリスとナチス・ドイツの開戦を知ったボースは、
「これはインド独立の絶好の機会である」とドイツに向う

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ドイツに亡命滞在をしたボースであったが 
当初は彼の存在の認知度は低くVIP待遇には 
ほど遠い扱いであったようだが日本のインド方面
でのインド独立連盟が本格化するとその指導者に
ボースが選ばれた


ネータージー移送作戦


むろん、各国の思惑が絡んだ結果ではあったが
ここに日本 ドイツ インドによるインド独立戦
が展開する






空路は危険と判断され 遣独潜水艦作戦
(けんどくせんすいかんさくせん)
という日独の潜水艦ルートが選定された

ここに日本 ドイツ両海軍潜水艦による
ボース移送作戦が開始された

まずUボート U180でマダガスカル島へ

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1943年2月8日、ボースと側近アディドハサンの
乗り込んだドイツ海軍のUボート U180は
フランス大西洋岸のブレストを出航した。

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4月26日、インド洋マダガスカル島東南沖で
Uボートと日本海軍の巡潜乙型伊号
第二九潜水艦が合流した

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ここで、ボースらは翌4月27日になって
日本側の伊号潜水艦へ乗り込んだ

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5月6日、潜水艦はスマトラ島に到着した。
現地で飛行機便を待ち、5月16日に東京に到着
ヒトラー政権とは相性の悪かったボースだが
日本の東條内閣とはボースの東亜解放思想の
許に一致団結を果たした

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そしてインパール作戦にボースとインド国民軍が
加わることになる

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インパール作戦に参加した日本兵とインド人

インパール作戦自体は悲惨な結果に終わったが
この戦いをインドではインパール独立戦争と
呼称していることからも 日印軍のひとつの
証拠となるだろう

しかし 残念ながら1945年8月18日にボースの
乗った機体は事故を起こし 亡くなっている

以上 簡単にボースの生涯をみてきました

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インパール作戦で従軍した99歳の
日本兵だった方にインド式最敬礼するモディ首相

戦後はいろいろな評価があり 国際的には
ガンジーの名前を知らない人はいないが
ボースの名を知る人は少ないかもしれません

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インドネシアの独立に尽力した日本兵たち

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ジャカルタの独立記念塔に収められた
インドネシア独立宣言書の日付
「05年8月17日」 
これはは西暦でなく日本紀元(皇紀)を表す


第二次世界大戦終結後、独立を宣言した
インドネシア共和国と、再び植民地化
に乗り出したオランダとの間で
起こったインドネシア独立戦争。
1945年から1949年までの4年5ヶ月にわたる
戦争で、80万人が犠牲になりました。

この戦争には、独立軍の将兵の教育や
作戦指導に関わった、或いは実際に戦闘に
加わるなどした日本人の将兵が数多く存在しており、
その功績に対し、1988年8月17日の独立記念日に、
金子智一氏など6人の日本人が、国家最高の栄誉である
「ナラリア勲章」がスカルノ元大統領から授与される

インドネシア独立戦争記事を見た海外の反応

■ フランスはアメリカの独立を助けたわけだけど、
  俺たちにとってのフランスが日本だったってところなのかな。   

■ 日本の統治はわずか3年間だけだったけれど、
  彼らのスピリッツを俺たちは深く記憶してる。日本万歳!!!!

■ アジア人の力で勝ち取った独立だな。

  ■ これは事実なんだよ。……プロパガンダなんかじゃない。
  一方だけじゃなくて、もう一方の声にも耳を傾けなくちゃ。

■ 戦時中の日本軍に関して唯一リスペクトできるのは、
  彼らは欧米の植民地だった東南アジアの国々にあったどの王室にも、
  危害を加えるようなことはしなかったってことなんだ。
  たぶん日本にも天皇がいて、王(皇)室に
敬意を持ってたからなんだろうね。
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