Historical War
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一万人を救助せよ 
ガ島脱出 ケ号作戦発動!
 
前回は悲壮なガダルカナル攻防戦について
概略をみましたが 第二回はガ島戦闘の
困難な
救出劇 ケ号作戦についてまとめました
大和タケル
 
ついに撤退の決断へ
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二次にわたる総攻撃でも落とせなかった
ガ島の状況は悪化の一途を辿り 
続く第三次ソロモン沖海戦と第38師団を
中心とした第三次総攻撃も失敗に終わります
その上 死地といえる孤島に一万余名の
将兵らが残されているのです
 
此処に到り12月31日の御前会議にて
ついにガ島撤収の断が下されます
 
そして捲土重来の意を受けてケ号作戦が
発動されました
 
ケ号作戦の骨子
・撤退作戦は米軍側はもちろん 
 日本兵側にも
極力内密に行われること
 
・脱出は高速な駆逐艦をもって行われること
 
・戦病者を優先し、第2師団そして第38師団と
 順次撤退すること
 
数名ならともかく 一万人以上の困難な脱出作戦
成功を期すために多くの工夫がなされました
 
綿密な救出計画
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・撤退でなく 攻勢準備中と欺瞞する
 まずガ島西方へ移動し防御陣地を作る 
 更に西方のラッセル諸島を占領し基地とする
 
・撤退に耐えられるように補給を増やす
 一時 中断していた鼠輸送に加え
 潜水艦による補給/潜り輸送も加わえる
 
・陽動作戦
 ハワイとフィジー間にあるカントン島方面に
 東方牽制隊を派遣し この通信部隊が頻繁に
 攻勢打電等を発信する欺瞞作戦を展開
 
この他にもかなりの航空 艦艇支援作戦が行われ
いかに陸海軍が自軍将兵らを救わんとしていたのか
が伝わってきます






 
第一次撤収作戦
昭和十八年二月一日
 
駆逐艦20隻からなる救出艦隊が出発した
うち数隻に被害がでるも一日の夜半に
ガ島に到着し海軍250名、陸軍5,164名を収容
翌二日の午前にブーゲンビル島に帰還した
 
第二次撤収作戦
昭和十八年二月四日
 
二月四日に駆逐艦20隻で発したが舞風 長月 
白雪が離脱した
作戦そのものは見事に成功し 海軍519名、
陸軍4,458名(主に第二師団兵士)を収容した
また同時に第17軍司令部がガ島を後にした
 
 
第三次撤収作戦
昭和十八年二月七日
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第三次輸送隊に参加した第16駆逐隊 雪風
 
駆逐艦18隻からなる艦隊は七日早朝発進
磯風が離脱するも同夜、ガダルカナル島に到着し
カミンボから海軍25名、陸軍2224名を収容した
殿軍の松田部隊も全員を収容している
更に駆逐艦での撤収が失敗した場合に備えて
ラッセル諸島に駐留していた海軍38名、陸軍352名
も余さずに収容した
 
ケ号作戦の成功
ここにケ号作戦は成功裏に終了し海軍将兵832名
陸軍将兵12,198名を救出 損害は駆逐艦1隻沈没
3隻の損傷のみという見事な結果を出します
 
更に情報戦に長けた米軍側も欺き 撤収発覚は
八日朝に舟艇が放棄されているのが見つかった
時だったとされています
これには最も困難な殿軍/しんがりを任された
ある大隊の活躍も関係しています
 
 
特筆すべき矢野大隊の奮戦
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矢野桂二少佐の率いた矢野大隊は殿軍として
救出の時間稼ぎをする決死の働きをしました
これは未教育補充兵の寄せ集め部隊でしたが
矢野大隊長の指揮下で奮闘を続けましたが 
実は彼らにさえ撤退の件は知らされていませんでした
 
"張り切った(矢野)大隊長はそれから三日に渡り
全将兵を激励して 数十倍の敵に昼夜なく
殴りこみをかけさせた"辻政信"ガダルカナル"より
 
 
日本軍は特攻や玉砕の部分ばかりが強調され
兵士を塵芥のごとく扱っていたかの印象操作が
常に行われていますが 決してそればかりではありません
 
そのなによりの証拠がこの絶海の死地から生き残った
将兵らを一万余名以上も救助したケ号作戦でしょう

おまけコーナー
データで見るWW2の激戦
これは某毎日の企画のパクりです
 
ガ島攻防戦は日本軍は総勢36000名が参加し 
そのうち22500名が死亡したとなっています
これは全体の62.5%というとても高い死亡率です
 
WW2の激戦といわれる戦いでもだいたい
30%強程度が多いですから いかにガ島が
危険な戦場だったがわかります
 
また戦闘は1942年8月7日から1943年2月7日の
正味約六ヶ月に渡っているので一ヶ月平均では
3750Deaths/monthとなります
 
ですが 戦勝国だったからといって常にいい勝ち目
だったのかというとそういうわけでもありません
 
例えば1942年8月に行われたディエップ強襲があります
これは英軍とカナダ軍を主力とする部隊が独軍が
占領していたディエップへ攻撃をかけたものでしたが
英加両軍で約6000名うち4192名が死亡しています
これは約70%という非常に高い死亡率となりました
 
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またドイツと旧ソ連が戦った東部戦線では
クルスクの戦いというのがありました
大戦車戦で有名な戦闘なんですが ここでは
勝ったロシア側は86万人もの犠牲者を出しています
このクルスク戦闘は1943年7月4日から8月27日の
正味約二ヶ月に行われたので たった一ヶ月で
43万人を失っている計算になります
(※この数字には戦傷と捕虜も含まれている)
 
日割りも計算しておくとガダルカナル戦では
125Deaths/dayですが クルスク戦での数は
14300Deaths/dayとなります
 
うーん これはマサルの目も点になるでしょうね
以上です
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