Historical War
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焔熱のガダルカナル
 凄まじい消耗戦
 
ヒストリカルウォー 
今回は有名なガダルカナル島での戦いを
取り上げます 大和タケル

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ここでは補給不足から餓えに苦しんだ
兵士が多かったことは周知で これまでに
大量に関連書籍等が出回っていますが 
サイパンのように玉砕はしておらず
かなり多くの将兵が救出されています
 
今回はそのケ号作戦に焦点を当てたいと
思っています
 
(※この記事は管理者の主観によって
構成されていますので NCNRでお願いします)
 
ガダルカナル攻防戦を振り返る
まず第一回はガ島での攻防の経緯を
ごく簡単
に振り返っておきましょう
 
ガダルカナルでの戦闘は島奪回を目指す
日本軍が逐次的に戦力を投入していき 
その度に
大きな犠牲を払って戦力を喪失した
いわば負け戦の典型として現在でも 
広く知られています
 
ですが なぜそうした状況に到ったのか
その点からみるべきでしょう
 
参謀本部と前線を往来して生き残った
辻政信大佐の著書"ガダルカナル"に
興味深い記述があります
 
彼はまだガダルカナルが米軍の手に堕ちる
前にモレスビー方面を駆逐艦朝凪に同乗して
偵察中に米軍機による攻撃により負傷した
経験から その方面の制空権への不安と
遥かに南方に突出した場所にある海軍の
ガダルカナル基地に対して その危険性を
説いたとあります
※また陸軍内部ではガ島基地建設そのものが
周知されていなかったとする説もあり
 





天が落ちてもガダルカナルは落ちない
 
これに対して 海軍側の主任参謀は
「大丈夫だ 天が落ちてもガダルカナルは
落ちない」と豪語して笑っていたとあります
 
そして昭和16年の五月から3000人の工兵をもって
三ヶ月をかけて ようやく完成したダルカナルの
飛行場は待ちかねていた米軍が八月七日から
上陸を
開始してたちまち占領してしまいました
 
死地に陣を作り献上した格好
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この事態に慌てた海軍は第一次ソロモン海戦で
迎撃するも米輸送艦隊を逃してしまいます
※もっとも米側も揚陸作業中に海軍第八艦隊の
攻撃を受け食料は当初5日分程度しか持てなかったようです
 
更にミッドウェー占領用に用意されながら出番の
無かった 陸軍一木支隊をもって島奪還が開始されます
 
一木支隊は八月十九日に上陸に成功したものの
わずか900余名で弾薬や食料も持てるだけでした 
これがまだお互いが上陸したてなら 日本兵の
勇猛さでなんとかできたかもしれませんが 
米側は既に重火器にM3リーまで持ち込み
鹵獲した日本製武器も含め陣を固めていました
 
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野砲一門のみと迫撃砲などの一木支隊は奮戦
するもイル川渡河作戦で一木大佐も戦死するなど
壊滅的打撃を受けてしまいます
 
第一次総攻撃後はアリ地獄化
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この後 第二次ソロモン海戦でサラトガ等に
打撃を与えた後に 作戦は元々はモレスビー
攻略用だった川口少将の指揮する川口支隊に
受け継がれていきます 
川口支隊は約4000名を上陸させ 野砲等の
重火器も20門程度は揚陸に成功しましたが 
その戦力を基地奪回に集中できず 残余の兵
数千名がいわば 島に駐屯してしまうわけです
 
兵がいる以上は食料弾薬を輸送せねばならず
陸兵は餓島と異名をとった餓えと物資不足 
海兵は駆逐艦を転用した鼠輸送という
慣れぬ補給作戦に苦戦することになります
(大型補給船が失われている上に 駆逐艦の速度
でしか攻撃を潜り抜けることができなかったため)
 
本来ならこの辺で見切りをつけるべきだった
と思えますがそれは後世の客観視だから
言えることかもしれません
 
更に拡大策を取る
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前列向かって左から二人目が百武司令

これに対して引き上げどころか新たに第十七軍が
編成されて ガ島奪回を継続します
百武軍司令の下に小沼 杉田 辻らの参謀が
集結して 海軍も新鋭駆逐艦を廻すなど
投入できる陸海の総力を挙げる作戦になります
ですが結局 揚陸できたのは火砲38門 
兵力は正確には不明で約一万前後程度と思われます
 
凄まじい消耗戦
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ここからは実際に第二師団の攻撃に参加していた
辻の著作から抜粋します
 
昭和十七年十月十日
正木少将の指揮する15サンチ榴弾×4 と
10サンチ加農砲×2が飛行場に向け射撃開始
 
"たちまち黒煙が付近一帯に広がっていく
 午後5時頃になると約20隻の敵艦が横隊に
 開いて砲撃を開始した
 幾度かの激戦 死闘に参加したが鉄量の
 激しさにおいて この日ほど恐るべき
 敵火をくぐったことはなかった" 
 
"夜半 ツラギ軍港方面に突然火炎が上がった
 轟然たる砲声と前後して敵飛行場の上空に
 無数の光芒を引いて焼夷弾(三式焼霰弾)が
  炸裂した 四十サンチの巨砲から撃たれた
  第一弾である。 戦艦二隻(金剛、榛名)で
  40分間に打ち込んだ弾は約1000発であった"
 
 (正確には金剛は三式弾104発、一式徹甲弾331発、
 副砲27発の計462発 榛名は零式弾189発、
 徹甲弾294発、副砲21発の計504発 両艦合計966発)
 
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この艦砲射撃でヘンダースン基地の半数は
消失しますが 続く第二師団の攻撃も失敗し 
辻参謀ですら遺体の供物を拾い食いして
余命をつなぐほどの状況に追い込まれます
(もっともガ島戦闘に参加もしていないのに
 遊兵や人肉などと書き散らかすT.Iなどの
 著述などは取り上げる気にもなりません)
 
損失全体の正確な数字は不明なんですが
第2師団麾下の歩兵第29連隊では兵員2,554名に
対し戦死・行方不明553名となっています
 
全ての戦況が悪化の一途をたどる中で 
翌、昭和十八年二月にガダルカナルを
脱出するケ号作戦が発動されます
 
それは第二回に詳しく述べますのでご覧ください
 
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