ポート・ダーウィン攻略
本格的な陸上戦闘が始まります
5月27日
まず初めの目標はポート・ダーウィンです
英第三海兵旅団第42大隊と空挺第2大隊の
二個大隊で攻めますが この地点はさほどの
抵抗もなく 割とあっさりと落とせました
グース・グリーンの激戦
5月28日
続いて英軍はグース・グリーンに進撃します
ここは 普段なら単なる地方空港の一つですが
現在は補給の要であり 亜軍もここからは
落とさせないと強固な陣をひいていました
激を飛ばすメネンデス アルゼンチン軍司令
強襲を試みた英軍も頑強な抵抗に遭い
空挺隊第2大隊の大隊長ジョーンズ中佐が
斃れるなどの大きな損害を出してしまいます
戦いは地上ばかりでなく 英軍はハリアーにより
亜軍もカプラ軽攻撃機により 両軍の対地支援攻撃が
激しく入り乱れました
WW2ばりに対空機銃を水平射撃で打ち合う激闘に
亜軍約250名が戦死しました
一方 英軍は17名ほどでしたが大隊長以下
士官 下士官が11名も亡くなりました
この激戦の趨勢を決めたのは 兵士の質でした
召集兵で一般的訓練しか受けていない亜軍兵士と
エアボーンとして鍛え上げられた職業軍人との差が
最後にものを言いました
ついにに英側はグースグリーン奪取に成功し
亜軍兵士1400名は投降しました
ちなみにこの攻撃前夜に作戦計画が
マスコミから流れたという話も伝わっています
フィッツロイ上陸作戦
6月8日
いよいよ 島の要衝はポートスタンレーのみとなりました
ただ町には市民が残っており 攻撃前にアルゼンチン
自体に諸島からの撤退勧告がなされました
しかし 亜側がつっぱねたために攻撃続行となります
ここで徴用したQ・エリザベス号などでやってきた
英陸軍第五歩兵旅団が到着 決戦に向け大部隊が
漁村フィッツロイに上陸を始めます
シーハリアー 英が執念で開発したV/STOL機
航続距離は短いものの 空戦空爆で活躍
事故以外 被撃墜も無かった
察知した亜軍もさせじと残余の航空兵力を集中します
ふたたびA-4隊が波状攻撃をかけ 英艦のサーガラハットが
炎上沈没 サートリムトハムが大破します
さらに空戦では活躍できなかったダガー隊が意地を見せます
フリゲート艦プリマスを爆撃します 命中弾4発を与えるも
全弾不発!(絶句・・ ただし積んでいた爆雷が誘爆し
プリマスも甚大な被害をだします
この戦闘で 亜軍航空隊も3機を失っています
ポートスタンレー決戦
6月12日
ついに最後の戦いが始まりました まず深夜に
バルカンが長距離爆撃を行い 火蓋を切ります
戦力の整った英軍は第2、第3空挺大隊がロングドン山から
近衛大隊、海兵隊第45大隊、グルカ隊がダンブルダウン山より
そして ウェールズ近衛大隊はハリエット山と三方から
攻め寄せていきます
ガルチェリ線の攻防
第一防衛線を破られた亜軍は最終陣地ガルチェリラインに
終結します
この防衛線には歩兵3個連隊 海兵1個連隊の他に
155mm砲3門、105mm砲42門の野砲と1万発あまりの
砲弾が配備されていました
スコーピオン VS M2
ここで少し両軍兵装についてみてみます
英軍はFV101 スコーピオンを持ち込みました
これは76mm砲搭載 最高で90Km近くも出せる
偵察戦闘車で もう廃れましたがM24チャーフィー
等の軽戦車の流れを汲むAFVです
ほとんど装甲車両の無い亜軍に対しては
この程度でもかなりな脅威になったでしょう
陸自も機動戦闘車を配備中ですが こうした軽便な
車両が離島戦闘では役立つ証拠でしょう
一方で亜軍はスコープ付きのブローニングM2で
応戦し これが英地上軍にかなりな損害を与えたようです
英側はこのトーチカに近づいて対戦車ミサイルを
打ち込むという戦法で潰していきます
一説では この教訓からM82対物ライフルが生まれたという
話もありますが どうでしょうか
一部にはバヨネットを使った白兵戦もあった激戦も
ついに終わり スタンレーは英軍に包囲されます
そして 終結へ
この英軍の包囲鉄環と制海制空権を取られたことにより
ポートスタンレーの亜軍守備隊の士気は著しく下がっていました
山岳地帯で一部のコマンド同士がぶつかり手榴弾を
使った激しい戦いがあったものの 戦いの趨勢は
既に決まっていました
6月14日
ここにおいて亜軍司令官マリオ・メネンデス准将は
指揮下の9,800人の兵士らとともに投降
ついに島を巡る戦いは終結しました
まとめ
激戦でしたが 結果的には英軍の大勝利の
イメージが強いです
すこし勝因負因を挙げてみましょう
準備不足だった亜軍
これほどの戦いを起こす割りに 亜軍の準備不足が
目立ちます
活躍したエグゾセですら まだ仏語マニュアルを
読んでいる途中で 設定はダッソー社員がやっていた
という話があります 信管設定も同様です
また上陸後に重機を持ち込んで 海外線を徹底的に
防御陣地化したということもありませんでした
このへんが どうにもチグハグです
情報量の差
この戦いは米国が英に偵察衛星の情報分析を
渡していたといわれています それまでのSR71等の
偵察機ではなく偵察衛星の威力が示された
最初の戦いといわれています
その一方で 英艦隊には指揮管制機が無く
艦船への被害を拡大しました
兵士の士気
記事内にも書きましたが 招集兵とプロ兵士の
錬度と士気の差も現れました
それは戦死者数は 英256に対して
亜645と約2.5倍程度ですが 捕虜数が
英115に対して 亜11313と差が
100倍もあることからも分かりです
大量に捕虜となった亜軍兵士の写真は
両軍の大きな違いを印象づけました
また二ヶ月ちょいの戦いなのに 占領した亜軍兵士
には食料不足の状態もあらわれていたといいます
以上 このフォークランドの戦いは現在の
日本にとっても大いに参考になるものでしょう