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ゼロ戦最強エース 岩本徹三伝説
岩本徹三海軍中尉 
渾名/零戦虎徹


WW2の太平洋戦線において緒戦から
終戦まで戦い抜き、生き残った最強の
旧日本海軍ゼロ戦パイロット

戦後は戦犯には問われなかったが、
公職追放となった。

その後 冷遇され職を転々とするも
敗血症により、原発の病名も不明のまま
1955年(昭和30年)5月12日、
7歳と5歳の男の子を残して逝去。享年38

最強と謳われる旧日本海軍
ゼロ戦パイロット 岩本中尉に
ついて簡単にまとめました
大和タケル

1 ラバウルの空は岩本で持つ

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直長としてのゼロ戦隊の指揮を執った
ラバウル防衛戦
マッカーサーが重要視するラバウル攻略
には1週間のべ1,000機平均の連合軍機が
連日飛来した

一方で迎撃する日本軍機は20機弱から
40機前後という状況の中であったが
岩本らの活躍で支え抜いた

アメリカ軍は日本側は約1000機程度を
投入していると誤認し増援を要請していた

2 「送り狼」戦法

岩本は攻撃を終えて 帰投する米編隊を
待ち伏せ攻撃で奇襲する
「送り狼」と呼ばれる戦法をとった。

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岩本自身は「すでに里心ついた敵は反撃の
意思がないから楽に落とせるよ。
1回の空戦で5機まで落としたことあるな。」
と語っていたようである

「岩本さんそりゃずるいよ。
私らが一生懸命ぐるぐる回りながら
やっているのを見物してるなんて」と
同僚の西沢飛行士らからも非難
されたようだが 圧倒的物量差で
補充が効かない日本軍にとっては
苦肉の策だったのか またこれは
航続距離に余裕のあるゼロだから
できる戦法であって 
性能が良くても足の短いメッサー等には 
マネのできない戦法といえる


注 西沢飛行士
西沢広義海軍中尉
「ラバウルの魔王」の異名を持つ
F4Uコルセアとの4対4の空戦では
自身が3機を落とすなど活躍 
通算撃墜数150機ともいわれている

3 赤く見えた愛機

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しかし 岩本の格闘センスは抜群で
単機対F6F戦闘機4機で空戦に入り、
そのことごとくを撃墜したと地上監視所
から報告されている

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また背面飛行から敵爆撃機の操縦席を
直撃する戦法や三号爆弾という
クラスター爆弾を爆撃機編隊上に
投下して一気に壊滅させるなどの
凄まじい戦いぶりで撃墜数を伸ばし、
愛機に描かれた撃墜数の桜マークの多さで
機体後部が赤く(正確にはピンク色)見えたという



4 特攻作戦に最後まで反対

第二神風特別攻撃隊の志願者募集の際、
岩本は「死んでは戦争は終わりだ。
われわれ戦闘機乗りはどこまでも
戦い抜き、敵を一機でも多く叩き落として
いくのが任務じゃないか。
一度きりの体当たりで死んでたまるか。
俺は否だ。」と言って志願しなかったという

5 岩本乗機について

主にゼロ戦に乗ってた岩本が
どのような型に乗っていたのか
推測したものです
確定ではなくゼロ戦各型の開発配備
状況からの自分の単なる推測記事です
また21型などは他の発展型とともにラバウル等
でも長期にわたり搭乗していたようです
1940年 昭和15年 瑞鶴配備

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零式艦上戦闘機二一型
二一型にて訓練習熟を重ねる
1941年12月昭和16年 真珠湾攻撃
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零戦二一型(A6M2b)による実戦
1942年5月 昭和17年 珊瑚海海戦
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零戦二一型(A6M2b)
ただし1942年4月頃より生産された
零戦三二型(A6M3)の可能性も若干あり


1943年 昭和18年3月、281空(アリューシャン)

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零戦三二型(A6M3)翼端に特徴

1943年 昭和18年11月 ラバウル防空戦
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零戦二二型甲(A6M3a)
最も撃墜数の伸びた時期だが 
送り狼戦法をとるなら航続距離があり 
武装が20mm機銃を九九式二号三型と少し
強化された二二型甲も使用したのではないかと推測
さらにラバウルに少数配備された二式30mm機銃×2
装備の重武装型(B-17も吹き飛ばしたといわれる)
に乗ったと想像するのも楽しい

1944年 昭和19年1月、253空(ラバウル、トラック)
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零戦五二型(A6M5)甲(A6M5a)乙(A6M5b)

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機体にびっしりと桜の撃墜マークがついたプラモは
この五二型が多いようです
1944年 昭和19年8月に32空(呉)、
9月に252空 台湾沖航空戦、フィリピン沖海戦
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零戦五二型丙(A6M5c)

昭和20年3月203空(厚木)にて終戦
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