注 西沢飛行士
西沢広義海軍中尉
「ラバウルの魔王」の異名を持つ
F4Uコルセアとの4対4の空戦では
自身が3機を落とすなど活躍
通算撃墜数150機ともいわれている
俺は否だ。」と言って志願しなかったという
5 岩本乗機について
主にゼロ戦に乗ってた岩本が
どのような型に乗っていたのか
推測したものです
確定ではなくゼロ戦各型の開発配備
状況からの自分の単なる推測記事です
また21型などは他の発展型とともにラバウル等
でも長期にわたり搭乗していたようです
1940年 昭和15年 瑞鶴配備
零式艦上戦闘機二一型
二一型にて訓練習熟を重ねる
1941年12月昭和16年 真珠湾攻撃
零戦二一型(A6M2b)による実戦
1942年5月 昭和17年 珊瑚海海戦
零戦二一型(A6M2b)
ただし1942年4月頃より生産された
零戦三二型(A6M3)の可能性も若干あり
1943年 昭和18年3月、281空(アリューシャン)
零戦三二型(A6M3)翼端に特徴
1943年 昭和18年11月 ラバウル防空戦
零戦二二型甲(A6M3a)
最も撃墜数の伸びた時期だが
送り狼戦法をとるなら航続距離があり
武装が20mm機銃を九九式二号三型と少し
強化された二二型甲も使用したのではないかと推測
さらにラバウルに少数配備された二式30mm機銃×2
装備の重武装型(B-17も吹き飛ばしたといわれる)
に乗ったと想像するのも楽しい
1944年 昭和19年1月、253空(ラバウル、トラック)
零戦五二型(A6M5)甲(A6M5a)乙(A6M5b)
機体にびっしりと桜の撃墜マークがついたプラモは
この五二型が多いようです
1944年 昭和19年8月に32空(呉)、
9月に252空 台湾沖航空戦、フィリピン沖海戦
零戦五二型丙(A6M5c)
昭和20年3月203空(厚木)にて終戦